江戸時代の家長
とくに家産とは、家長が子孫に継承すべく先祖より譲り受けた財産であり、当代家長は「家」の一時的な代表者として家産を管理する管財人(かんざいにん)に過ぎなかった〈中田薫『法制史論集 第一巻』(岩波書店、1926年)〉。
あくまで家産は「家」の所有物であった。しかも、当代家長は家産管理に不適格であると親族(家族、親類)会議が判断した場合、親族たちは当代家長を強制的に隠居させることができた。
跡継ぎが不在であっても養子を入れて隠居させたし、最悪の場合、「家」から追放する可能性もあった〈大藤修『近世農民と家・村・国家――生活史・社会史の視座から』(吉川弘文館、1996年)、萬代悠「畿内豪農の「家」経営と政治的役割」(『歴史学研究』第1007号、2021年)〉。これが不行跡(不品行)の家長に対する強制隠居である。
江戸時代の家長は、親族から不断の監視と牽制を受け、強制隠居を通告されないためにも、真面目かつ勤勉に働く必要があった。
この意味で、家長の言動は「家」制度から制約を受けていた。換言すれば、当代家長は、先祖から続くリレー走の一走者で、家長というバトンを未来の走者(家督継承者)に渡す役割を担っており、走者として不適切だと親族に判断されると、強制的に走者から外されたわけだ。