父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?
後遺症の悪化により一変した生活
一昨年のはじめ、性虐待の後遺症が悪化する出来事があった。詳細は割愛するが、その影響により、それまで一度も落としたことのない原稿の締切をはじめて落とした。生活の柱となっていたクライアントから仕事を切られ、私の経済基盤はみるみるうちに崩れ去った。仕事は減り、病院代はかさみ、貯金が底をつくまでに2年もかからなかった。
当時の私は、冷静に考えれば入院が必要な状態にあった。だが、私は入院するどころか新しい案件獲得を求めて必死に動き続けていた。企画書を作り、営業をかけ、書いて読んでを繰り返し、副業先も探した。本当は休みたかった。でも、休むお金がなかった。
独身時代、後遺症によりまともに働くことができなかった時分にも、過酷な貧困に悩まされていた。その頃に比べれば、今はまだマシな状態にある。あの頃のように、公園のトイレで髪を洗うことも、生の雑草を食べることもない。だが、貯金の大半を失い、カードの残債に怯える日々は、私の心を容赦なく削り取っていった。
虐待の後遺症に加え、日々差し迫る貧困への不安。過剰にかかるストレスに耐えかね、私は何度か生きることを放棄した。それらが未遂に終わったのは、パートナーと友人たちの尽力があったからにほかならない。しかし、その際にかかった入院費や治療費は、今でも私の生活を圧迫している。