薄れない痛み

実父による性虐待被害から、今年でおよそ25年が過ぎた。時間は少なからず薬になる。私は、その効果を信じたかった。もちろん、多少なりとも時間薬の効き目は感じている。だが、体が記憶したトラウマは恐るべきしつこさで私を蝕み続け、実際には思うほど痛みは薄れず、壊れた箇所はそのままで、夜は怖くて、眠れずに迎える朝は冷淡で、喉元からせり上がる声は私にも周りにも優しくなくて、我慢しきれずこぼれた悲鳴は私とパートナーの日常をいとも容易く破壊する。

両親は今、故郷で穏やかな年金暮らしをしている。日常を壊された側がのたうち回っている裏側で、加害者は通常営業で日々を過ごしている。ある日、唐突に「もう無理だ」と思った。がんばる理由も生きる理由も山ほどあるはずなのに、発作的に「もうがんばれない」と思った。全身に絡みつく希死念慮は思いのほか強く、異変を察して繰り返し連絡をくれた友人たちの電話にさえ出られなかった。

友人たちがパートナーに連絡を取り、パートナーが昼休憩を中抜けして自宅に駆けつけた時、私の手の中には刃が握られていた。抗えない力でそれを奪い取ったパートナーは、私を車に乗せて職場まで連れて行った。

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「あと2時間で仕事終わるから、絶対に車から降りないで。ここにいて。約束できる?できないなら、仕事場まで連れて行く」

そう言った彼の目は、ひどく怒っていた。加害者である両親に対して怒っていたのはもちろんのこと、命を投げ出そうとした私に対しても、言葉にしきれない感情があったのだろう。私自身、本当は死にたいわけじゃない。生きてやりたいこと、叶えたい未来がたくさんある。だが、それ以上に生きていることが辛くなる瞬間があって、引いていく波のように容赦ない強さでその衝動に心を持っていかれるのだ。

大切な人たちの存在をはじめとして、本、仕事、夢など、杭となるものは多々あれど、増幅する痛みと憎しみは、時に理性を凌駕する。そのことを、自分でも悲しいと思う。