AD事情

ここで、この頃のドラマのAD事情について説明しておこう。

ADにはTBSの若手社員もいたが数は少なく、一つのドラマでせいぜい1人、主力は制作プロダクションから派遣されたスタッフが勤めるというのが常態だった。

通常ADは4人、チーフ、セカンド、サード、フォースとはっきりしたヒエラルキーがある。

正に「ドラマ好き」でなくては勤まらない苛酷な現場で、自らAD経験を持つ遊川和彦の脚本で、『ADブギ』(P八木康夫)という悲喜劇が作られた程だった。

TBS社員のADは、ともすれば「客分」扱いされがちで、現場の仕切りは制作プロのADが主導権を握るというのが実態だった。

(写真提供:Photo AC)

現場ADが全員TBS「社員」というのは、初の試みだった。上司としては「社員」を育てたいという思惑があったのだ。

シフトされたのは入社6年目の久保徹、3年目の戸高正啓、山田亜樹、2年目の田沢保之の4人だった。

「現場」が通常よりは混乱するかも知れないが、プロ野球チームに例えれば「育成」と「勝利」の両方を目指さねばならないのだ。