「昭和」の終わりが近づく
『代議士の妻たち2』は、はからずも「平成」初のテレビドラマとなった。それは、まったく偶然という他はないのだが、正に「歴史」の転換点に、このドラマを作っていたというのは、私のドラマ人生でも特筆される出来事なのである。
1988年秋、天皇の「ご容体急変」が報じられてからの社会の「空気」の変化は、異様なものだったが、少し具体例を挙げてみよう。
某人気歌手と女優の結婚式が延期となったり、日産自動車「セフィーロ」のTVCMの井上陽水の「お元気ですかぁ!」との呼びかけが取り止めになったり、6年ぶりにセ・リーグを制覇した中日ドラゴンズの「ビールかけ」が「自粛」となったりと、はっきりと変化が見てとれた。
バブル景気は続いていたが、夜の賑わいもまた、表面上では「自粛」ムードに覆われていった。
同じ時期、世間を騒がせていたのが「リクルート事件」であった。これはいかにもバブル期に相応しいとしかいいようのない事件。政界、官界、財界の大物に「司直のメス」が入らんとする気配が漂っていた。
9月5日の夜、私は『代議士の妻たち2』のシナリオ・ハンティングで滞在していた岐阜の宿で脚本の重森孝子とディレクターの坂崎彰と何気なくテレビを観ていた。NTVのニュース番組だったと思う。
そこで流されていたのは「国会の爆弾男」といわれた社会民主連合の楢崎弥之助代議士に対して、リクルートコスモス社の社長室長が贈賄の申し入れをする生々しいやりとりだ。
NTV得意の「どっきりカメラ」の手法を思わせる。この映像のインパクトは凄かった。
「こんな映像、どうやって撮ったんだ?」という疑問と、「テレビ」がこんな仕掛けに使われる時代になったのかという驚きだった。
後でわかったことは、一月前に社長室長は一度「贈賄」の申し出をして断られていたが、楢崎代議士に後日「再訪」を促され、再度の「贈賄」申し入れをさせられたという経緯である。その現場を、楢崎から情報を得たNTVが「動かぬ証拠」として撮影した。
報道の手法を巡っては、アンフェアではないかという「異論」も出たが、その「映像」の迫真力の前に押し流された。