「母の表情が、オレゴンで日ごとに生き生きと別人のように変わっていったのです」

多くの人の意見を聞いて考えた結果、このまま何もせず最期の時を待つよりも、行きたいなら飛行機の中で人生を終えたとしてもいいだろう、という思いに至りました。イベントは1年後。その間、私は母の体のメンテナンスを徹底し、母自身もリハビリを頑張りました。

渡航前にはパック入りの介護食や粉末状のとろみ剤を日数分用意。機内ではマメに水分補給をしたり1時間おきに通路を歩いたり。まさに命がけでしたが、無事オレゴンに到着。滞在中の1週間は、その苦労以上の喜びがありました。

実はその当時、母は話すこと自体が面倒くさいのか、ほとんど声を発しなくなっていて。そんな母の表情が、オレゴンで日ごとに生き生きと別人のように変わっていったのです。

さらにイベント当日は、母は友人と過ごし、私はひとりで出かけたのですが、夜遅くに私が帰ったら突然、その日に起きたことを一からすべて話し始めて。感動を覚え、それを私に伝えたいという気持ちに突き動かされたのでしょう。本当に驚きました。

帰国後も、デイサービスのスタッフに「こんなに元気になるなら何度でも連れていってください」と言われたほど(笑)。その2年後に母が亡くなった時、「楽しい人生だったね」と語りかけることができました。