紀伊國屋書店販売初日

父、奇跡の復活

 前回の連載と、それをまとめた書籍「オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく」は、ほとんど物が食べられなくなっただけでなく、体が右に曲がり、寄り添って一緒に歩かなければ家の中の移動も困難になっていた父が入院したところで終わっている。今回から書く続編は、その後の父の様子と私の関わり方を書いていきたい。

入院初日に渡された計画書には、老衰、廃用症候群、高血圧症、食欲低下などと、現状が記入されていて、それにどう向き合うかを私と父、医師とスタッフが集まって話し合った。正直なところ、「老衰」という文字を見た瞬間、私は父の死を覚悟した。

ところが、入院した父は、病院の手厚い看護のもと、食欲が徐々に戻ってきた。歩行の訓練をリハビリのスタッフに促され、毎日コツコツとやり続けたおかげで、父はゆっくりだが体をまっすぐにして歩けるようになってきたのだ。

残念なことに、入院中に院内でコロナの罹患者が出て、父に会えない日が続いた。私の家からその病院までは結構遠い。でも、会えなくても病院に行ってスタッフから様子をうかがいたかった。

父に「いつも思っているよ」と伝えるために、新聞のテレビ欄に父が好きそうな番組に赤のマジックで印を付け、替えの下着と一緒に袋に入れて、週に2回は病院に向かった。

面会制限で父に会えないのはわかっていても、病院に行くだけは行って、玄関を入ってすぐのところにある受付に、簡単なメモを添えた下着や新聞を渡す。そして受付の人にお願いしてみる。

「病室の中では携帯の電源を切っているようで、父と話せていません。担当の看護師さんに、父に携帯電話の電源をONにしてもらうように頼んでいただけませんか」

受付の人はすぐに対応してくれて、間もなく父から電話がかっかってきた。

「パパ、今病院の1階にいるのだけれど、会えないから声だけでも聞こうと思ってね」

「あぁ、すまないな。俺は元気だ。コロナだから会えないのは仕方ない。今度来たら、また電話をくれ」

「うん、また来るね。元気そうな声でほっとしたよ」

すると父は、いつも私と口喧嘩していた時と同じくらいはっきりとした口調で言った。

「人間、誰だって1度は死ぬ。だけど、俺はまだその時期が来ていない。大丈夫だ。心配するな」

父の声に張りがあることに安心した私は、帰りに車を運転しながら、幼稚園に入った子どもが、泣かずに遊んでいるか心配したのを思い出した。介護をしているうちに、親子の立場が逆転してしまっていることに苦笑いした。