野球人生を変えたデッドボール

死球で左手首を骨折した1986年に話を戻します。

85年に初めて優勝を経験。しかも、中心選手としてフルイニング出場し、チームを勝たせることができた安堵感がありました。当時30歳で脂が乗った時期でした。

後楽園球場で本塁打を放つ。1978年撮影(写真提供:読売新聞社)

今度はチームを勝たせるだけでなく、自分自身の野球をもう一回見直すつもりでした。タイトル争いで三冠王のバースと勝負するぐらいの状態に持っていき、自分の成績とチームの成績をイコールにしたかったのです。

85年はチームの勝利を優先して、つなぎの打撃を意識した面がありました。86年は四番打者として多少、わがままな打撃を認めてもらおうと思ったのです。そのためのトレーニングも積んできましたし、実際に開幕してから、すごくいいスタートが切れました。

今思うと、自分の打撃への過信に落とし穴があったのです。