監督のバトンタッチ

2022年まで4年間指揮をとった矢野燿大(やのあきひろ)監督の財産も忘れてはいけません。

すごくベンチが明るくなる野球をやり、いろんな選手を使いながら、3年連続Aクラスでバトンを渡しました。

甲子園球場での引退試合にて。1988年(写真提供:読売新聞社)

梅野隆太郎(うめのりゅうたろう)がケガで戦列を離れても、2番手の坂本誠志郎(さかもとせいしろう)がゴールデン・グラブ賞を獲得できる活躍でカバーしたのは、矢野監督が併用して使って経験を積ませたからです。

近本光司も中野拓夢(たくむ)も佐藤輝明も、矢野監督のもとで成長した選手たちでした。その上で中野の遊撃から二塁コンバートや、ポジション、打順の固定による、岡田彰布監督の「勝てる野球」が花を開いたのです。

前回日本一の1985年は、84年まで監督を務めた安藤統男さんがバースを獲得し、私や岡田を育ててくれて、土台を築いていました。

そういう監督のバトンタッチが脈々と続くのが、小林繁さんの言うところの「巨人には伝統がある」ということだと思うのです。