それでも長期にわたる治療のあいだ希望を失うことがなかったのは、家族の支えがあったからです。わが家の場合、極めてドライな支え方でしたけれど。夫とがんについて話し合ったことは、特別にはなかったと思います。
手術には必ず付き添ってくれましたが、2度目に部分切除をした日などは、私を病院から家に送り届けると呑みに出かけてしまいました(笑)。ありえない! と憤慨しつつ、傷口の痛みに耐えながら娘の食事の支度をしたのですが──。
でもその実、普通の暮らしが送れることに大きな幸せを見出していたのです。家族に必要とされていると実感することが、どんな薬より効果的だったと、いまでは確信しています。
夫と娘に一番感謝していることは
乳がんであったことを公表したあとに出演した『徹子の部屋』で、私は期せずして夫の本音を知ることができました。徹子さんが読み上げてくださった夫からの手紙には、「平常心で向かわなければがんとは闘えないと思った」と記されていたのです。
そういえばと思い出したのは、小学2年生になっていた娘が、がんで亡くなったクラスメイトのお父様の葬儀に参列したときのこと。まだ公表する前でしたので、娘が「うちのママもがんなんです」などと言ってしまうのではないかと案じていたのですが、沈黙を通してくれました。
あれは私の知らないところで、夫が娘に言い聞かせてくれていたのかなと。彼の性格上、適当に誤魔化されてしまうのがオチなので確認していないのですが、淡々と過ごしているようでいて、寄り添う気持ちを湛えてくれていたのを感じます。
治療方針について、私の考えを尊重してくれたことも良かったです。主治医から全摘手術を提案されたときには、「こういう例もあるようですが、温存できませんか?」と打診してくれましたが、私が全摘を決意すると、夫はもう何も言いませんでした。
決意したとはいえ私の心は揺れていたので、どんな方針であろうと「こうするべきだ」と強く主張されたら、迷路にハマっていたと思います。誰かの意見に翻弄された挙げ句、後悔する結果になっては目も当てられません。夫はそのことも理解したうえで、考えを持って対峙してくれていたのだと感謝しています。
娘の強さにも救われました。実は再々発したときに、うっかり「ママ、死んじゃうかもしれない」とこぼしてしまったのですが、娘はしょんぼりするどころか、きっぱりとした口調で「そういうことは二度と言わないでほしい」と。おかげで私は目が覚め、前向きになることができたのです。