明治大学は「パイオニア」だった

しかし、嘉子が総代を務めたように、成績については女子学生は男子学生に全くひけをとりませんでした(明大女子部の第1回卒業生が、編入して明大法学部を卒業したのは1935年のことですが、この時は立石芳枝・高窪静江の女性2名が成績上位者3名の中に入っていたようです)。

男女のあいだには気持ちの壁があったにせよ、明大は女子学生にとって平等を体感できる場所でした。

女子学生たちは教室の前の方に集団で席を取って、授業を受けていました<『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』より>

嘉子は、教育における差別こそ戦前の男女差別の根幹であり、人間の平等にとって教育の機会均等こそが出発点であると述べていましたが、明大はこの問題に正面から向き合った、まさしく「パイオニア」の学校の一つであったのです。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。


三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(著:神野潔/日本能率協会マネジメントセンター)

2024年度・前期連続テレビ小説「虎に翼」のモデルは、日本初の女性弁護士の一人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長・三淵嘉子(みぶち・よしこ:主演・伊藤沙莉、脚本・吉田恵里香)。

本書では、三淵嘉子の生誕から晩年までの生涯と、嘉子とともに歩んだ家族、友人、同僚たちについて紹介する。

嘉子が生涯を賭して成し遂げたかったこととは何だったのか。

「女性活躍」が求められる今にあって、その先駆者の生涯が今、明らかになる。