「フリーの物書きで年金や蓄えにとぼしい私でも、何とかやっていける金額でした。取材で話を聞いた先輩の入居者にも、『隣の空き部屋には前の人が置いていったペレットストーブがあるし、カーテンも残っているからお得よ』なんて誘われて。その場で『入居します』と担当の人に言ったら、びっくりされましたね」

入居前の年末年始にはゲストルームに泊まり、那須の冬も体験した。今どきの建物は断熱性能もよく、ストーブを焚けば室内はぽかぽか。

「外の寒さも、北海道育ちの私には、むしろ子ども時代が思い出されて懐かしいくらいでした」

 

飲みすぎてひっくり返ったことも

それから約2ヵ月というスピードで、移住は決行された。もともと引っ越しが大好きで、都内の実家は息子一家にすべてまかせ、自分は近くのマンションを転々としてきたこともあって、荷物はそれほど多くなかったそう。

「とはいえ、劇に使う人形の整理が大変で、『二度と引っ越しはゴメンだ』と生まれて初めて思いました。他の入居者とも、住み替えを自力で進めるには70代前半がタイムリミットかも、とよく話します」

もう一つ大変だったのは、相談もせずに移住を決めてしまった家族への説明だったとか。共働きの息子夫婦のために、久田さんは孫の保育園の送り迎えや食事の世話をサポートしてきた。

「その孫2人も小学生になって、手が離れてきたからもう大丈夫でしょうと。最初は驚いていた息子も、しぶしぶ納得してくれました。実はそのときは判明していなかったのだけど、すでに3人目がお嫁さんのお腹にいたらしいの。先に知っていたら、自分の性格上、移住はあきらめていたかもしれません。まさに間一髪というところかしら(笑)」

那須での暮らしが始まって約1年。いちばんの発見は、同世代と暮らすことがこれほど楽しく、自由なのかということだった。世代の違う家族といると、無意識のうちに母親や祖母、かつては娘といった役割にしばられていた。

「でも、ここではそうした役割をまったく期待されません。家族の前では話せないことも、同じ立場の人になら平気で話せるし、相手も聞いてくれる。『母親』や『おばあちゃん』という役割を卒業して自分ひとりの人生を手に入れたら、もう元へは戻れないですね。

息子の家は赤ん坊が生まれて大変ですが、私は家族を卒業したのでSOSが出ないかぎり積極的には手を出しません。東京の実家に立ち寄るときも、友人と飲んで遅くなり夜中にこっそり帰って、早朝に那須に帰って来たりするんですよ(笑)」