なぜ豊臣家を滅ぼすのに15年もかかったのか

そう考えると、ここで新たな疑問が生じます。江戸と大坂、その実力に歴然とした差があるのなら、どうして家康は豊臣家を滅ぼすのに15年もかかったのか?

しかもこのときの家康は、60歳から75歳。当時の寿命を考慮すると、いつ死んでもおかしくないではないか。

実はこのことを、ぼくはずっと考えていたのです。ですが、家康自身がこのように考えていたとしたら、どうでしょうか。

「オレはもういつ死んでも良いと思っている。もし自分がいなくなっても、秀忠とその家臣たちがいる。家臣たちは、とくに軍事に関して優秀だ。大坂城を落とすことくらいは十分にやれるだろう」。

家康は後継者である秀忠、それに徳川家臣団(とくに家臣団の武力)を信頼していたのではないでしょうか? そう考えれば大坂の陣への見方も、自然に明らかになるでしょう。


「失敗」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

出版業界で続く「日本史」ブーム。書籍も数多く刊行され、今や書店の一角を占めるまでに。そのブームのきっかけの一つが、東京大学史料編纂所・本郷和人先生が手掛けた著書の数々なのは間違いない。今回その本郷先生が「日本史×失敗」をテーマにした新刊を刊行! 元寇の原因は完全に鎌倉幕府側にあった? 生涯のライバル謙信、信玄共に跡取り問題でしくじったのはなぜ? 光秀重用は信長の失敗だったと言える? あの時、氏康が秀吉に頭を下げられていたならば? 日本史を彩る英雄たちの「失敗」を検証しつつ、そこからの学び、もしくは「もし成功していたら」という“if"を展開。失敗の中にこそ、豊かな"学び"はある!