スポットライトを当てる場所の違い

さて、いまの話を「人生半ばにして気付くなんて、遅きに失した!」と捉える人がいる。私は、「このタイミングで気付けて本当に幸運だ!」と捉える。前者は悲観的、後者は楽観的と評される。

いにしえから言われているように、生きることは選択の連続だ。当然、失敗もする。その時、楽観的な私は、失敗から立ち直った自分にスポットライトを当てて出来事を記憶している。悲観的と言われる人は、失敗した苦い瞬間にスポットライトを当てて記憶している。光が当たる場所に違いが出る理由はわからない。他者からどちらかに当てられた経験が礎になっているのかもしれないし、DNAの仕業なのかもしれないし。

一方で、決めつけは自分に対してもする。「私はネガティブだから」というように。サクちゃんのすごいところは、自分の考えや世間一般の言説にいちいち疑いの目を持つことだ。ひとつずつ精査していくと、そうではないとわかることも多々あったと言う。スポットライトを当てる場所を自分で変えたのだ。

私は私で、繊細で傷付きやすく、後ろ向きな自分の輪郭をなぞるのが不得手だと自覚した。そういう部分があるとは認識しているが、毎日なにかしら闘って生きていると、つい忘れてしまう。私は慎重だが大胆で、ポジティブなチャレンジャーだと自己定義してしまう。

それだけではないのだ。私にだって、親から「おまえは暗い」と言われていた子ども時代がある。これをなかったことにすると、やがて辻褄が合わなくなり心身に不調をきたす。スポットライトを当てると生きやすくなる場所と、たまに弱めの光を当ててあげる湿った場所。自己の多面性を受容するのは大人の嗜みなので、バランスよくやっていきたい。


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年齢を重ねただけで、誰もがしなやかな大人の女になれるわけじゃない。思ってた未来とは違うけど、これはこれで、いい感じ。「私の私による私のためのオバさん宣言」「ありもの恨み」……疲れた心にじんわりしみるエッセイ66篇