上野さんの祖父が建てた二階建ての「上野家累代之墓」(写真提供◎上野さん)

意を決して、母に進言すると

父の没後、母が墓守の役目を務めていました。それで年がら年中草むしりに追われていたのです。兄も母も、福岡市で暮らしていたため、車で1時間ほどかかる朝倉市に行くだけで大変でした。

私も当時、勤めていた大学のある奈良市に妻と子どもの3人で住んでいたため、盆、暮れ、春と秋のお彼岸と、年に4回もお参りするのは負担が大きい。また、よく蛇が出たので、閉口しましたよ。

父が亡くなってしばらくしてから、兄と私は意を決して、「墓じまいをして福岡市郊外の霊園に新しいお墓を買おう」と母に進言。母は反対するだろうと思いきや、意外にもすんなりと、「もう、うちにはこげな大きな墓は無理ばい。分不相応たい」と、あっさり同意してくれたのです。母も前々から、巨大なお墓をなんとかできないかと悩んでいたのでしょう。

正確な金額は覚えていませんが、墓じまいの費用は数百万円単位だったはずです。墓石は粉砕し、産業廃棄物として捨てなくてはならず、かなりの額がかかりました。お寺さんにも、それ相応のお金を納める必要がありますし、もちろん新しいお墓の購入費用もかかる。

こうして上野家の大きなお墓は、近代的な霊園の小さなものへと引っ越したわけです。