栄華は露と消えて

私が研究のために調査をしていた80年代には、まだ日本全国に親族を土葬にした経験者がいました。

家族がひとつの墓に入り、次世代がその墓を受け継ぐという〈家族継承墓〉が可能になったのは、火葬が普及してから。鉄道網や道路網が発達して石材の運搬がしやすくなったこと、石の加工技術が進んだことなども関係しているでしょう。

日本の「先祖供養」の考え方と、そうした条件が合わさって、皆がこぞって家族継承墓を建てるようになったわけです。そしてある時期から、成功者たちは墓の豪華さを競うようになりました。

祖父もその例にもれず大きな墓を建てたはいいものの、興隆を極めた祖父のビジネスは、60年代に入ると徐々に下り坂に。スーパーマーケットで衣料品が扱われるようになったことで取引先が次々に廃業し、祖父は事業を縮小せざるをえませんでした。

その間、個人資産を売却していき、亡くなったときには栄華は露と消えていた。祖父の死後、父は廃業を選択し、残っていた資産を売却して従業員への退職金を払い終えると、残ったのは福岡の1店舗のみ。それが、私が生まれ育った家になります。かくして、仏壇と巨大な墓だけが残った次第です。

後編につづく

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