耳ツボの“ルーツ”
このように熱視線が注がれる耳ツボですが、実は、そのルーツはとても歴史が古く、主に2つの説があります。
ひとつは中国を起源とする説で、中国伝統医学の古典である『黄帝内経』(前漢時代)に耳を介した治療の記述が見られます。そして、もうひとつはヨーロッパを起源とする説で、こちらも古代ギリシャの医師ヒポクラテス(紀元前460頃〜前370頃)の著書の中に、耳を刺激して痛みを治療する記述があります。
いずれにしても、人類が古くから耳を刺激する治療法を行っていたことは確かなようです。
ただ、近年行われているBFAをはじめとした耳ツボ治療のベースの話となると、歴史は一気に進みます。1950年代、フランスの医師ポール・ノジェは、自身の患者が、地中海沿岸で古くから行われているという、耳の一部を焼くことで坐骨神経痛を緩和する民間療法を受けていたことを知ります。
そこでノジェは、耳への刺激が人体に与える影響について詳細な研究を行い、耳には体の各部位の状態が反映され、また、逆に各部位に関係する耳の場所(ツボ)へ刺激を行うと、それぞれの部位の痛みが緩和することを見出したと言います。ノジェはこれを耳介療法として提唱しましたが、この考え方は後に中国にも伝わり、中国独自の耳ツボ(鍼)治療が体系化されたのです。