伝統を守りながらの変化

話は幕内に戻るが、4日目、豊昇龍と前頭2枚目・平戸海の対戦で、立行司の木村庄之助が平戸海の左足と接触して転倒。立ち上がろうとしたが、豊昇龍に寄り倒された平戸海に再び接触して、寝たままの状態で軍配をあげた。行司も力士も怪我をしなくて良かったが、私は考えた。昔の土俵は審判や行司が怪我をしたのではないかと。

江戸時代には4本の柱が立ち屋根(方屋)を支え、紐で囲って土俵にしていたが、紐が俵になった。昔の浮世絵や写真を見ると、柱のところに審判がどっかりと座っている。行司はいるし、審判はいるし、柱はあるし、力士は相撲を取っているしで、昔の土俵は危険だったのではないか?

柱は昭和27年秋場所から観戦に邪魔なので撤去され、吊り屋根からの房になった。大相撲は伝統を守りながらも変化しているのである。

東京・両国国技館の櫓。ここからの太鼓の音が街に響く

私は大相撲のあるときだけ、コンビニでスポーツ新聞を買う。いつも同じ店員さんがいて、テキパキと仕事をこなしている。「慣れている仕事でいいですね」と言ったら、意外な答えが返ってきた。「システムとか商品とか変わるので、自分を更新していかないとだめなのですよ」だった。「自分を更新」は素晴らしい言葉だ。