2024年で87歳の加山雄三さん。俳優・歌手として活躍し、70代以降は愛船の火災や病に見舞われながらも、ニックネーム「若大将」そのままに人生を駆け抜けています。著書『俺は100歳まで生きると決めた』から一部を抜粋し、加山さんが語る幸福論をご紹介。今回は、芸能界に入った20代の頃について。東宝に入社した翌年から「若大将」シリーズが始まった――
若大将と青大将
1960年、俺は東宝に入った。給料は5万円。電車に乗って成城にある東宝撮影所に通った。俺は、入社した年に三船敏郎さん主演の『男対男』でデビューして、『独立愚連隊西へ』で主演した。
このときに決めた芸名が「加山雄三」だよ。うちのおばあちゃんが占い師に相談してくれてさ。その占い師が10個くらい字画のいい名前を考えてくれた。そのなかから選んだんだ。
「“加”は加賀百万石から。“山”は日本一の富士山から。“雄”は英雄から。“三”は東宝の創業者の小林一三から」
東宝撮影所の柴山胖所長が記者たちに言ってくれた。いいこと言ってくれるなあー、さすがだなあー、と思ったよ。
入社した翌年、1961年からは「若大将」シリーズがスタートした。
発案はプロデューサーの藤本真澄さん。1930年代に松竹の映画で「若旦那」シリーズというのが6作あったんだ。そこからヒントをもらったんだな。若大将シリーズは毎作品俺がなにかスポーツをやるというプランでさ。なにがやれるか聞かれた。映画のなかで、実際にやんなきゃいけないからね。
「まず3本つくるぞ」
藤本さんに言われて、うんざりしたことを覚えているよ。
「3本もやるんですか?」ちょっとふてくされた。
だって、そうだろ。シリーズ作品だからさ。同じ台詞ばかり毎回言わなきゃいけないんだからさ。
第1作の『大学の若大将』では水泳、2作目の『銀座の若大将』では拳闘、3作目の『日本一の若大将』ではマラソンをやった。
これで3作。でも、3つでは終わらなかった。若大将シリーズはヒットしたからね。全部で18本つくった。