金持ちならぬ「人持ち」

その頃ちょうど、海外在住の仲良しの女友だちと3人で、オンライン通話でおしゃべりするのが毎晩のルーティーンでした。熱が下がらないことをふと漏らしたら、心配してくれ、共通の知人女性を様子見に寄越してくれました。彼女は紀久子さんのマンションから歩いて1分ほどのところに住んでいます。コロナ期間なので、いつもは部屋には入りませんでしたが、その日はさすがに緊急事態だからと泊まって看病してくれました。以来、その女性とは親しくなりました。彼女は、具合が悪くないかを気に掛けてくれ、しょっちゅうご飯を届けてくれるように。病院にも付き添ってくれました。

幸い、半年の治療を経て、紀久子さんのがんは寛解。抗がん剤治療はストップし、経過観察になりました。その後、3カ月に1度の定期検査が、半年に1度になり、3年を過ぎ、ついに今年、1年に1度で良くなりました。このまま再発しないでほしいものです。

この間、病気を抱えているので、仕事の営業もしていなければ、大きな新規業務を請け負ってもいません。いまの収入は、19年から始めた非営利団体事務局の仕事のほかは、大学や企業、団体などで講師をしたり、プロジェクトを手伝ったりして、細々した収入になっています。

コロナ前から小さなイベントも主催してきました。社長時代から顔が広かった紀久子さんは、お金持ちならぬ「人持ち」です。これが紀久子さんの最大の財産でしょう。働いてきた40年間の人脈はいまだ生きていて、ファンも多いです。支援してくれる仲間もいて、イベントを続けてこられました。ただ、コロナによる中断から再開する時は不安でした。病気で自分が変わってしまったのではないか。「前みたいに人の話を面白がれるのか、楽しく聞けるのか、って」。でも、杞憂でした。実際に人に会って話を聞くのはやはり面白く、自分を取り戻せたようで、ほっとしました。

写真提供◎photoAC

それらの仕事も、準備やアフターフォローが必要です。会合やミーティングなど、なんやかやと毎日のように予定が入っています。けっこう忙しそうに見えます。でも、本人的には、「もう、いまは仕事してるって感じじゃない。リタイア後? 毎日のんびりしてる」と言います。かつてワーカホリックだった紀久子さんにとって、朝から晩までへとへとになって、それこそ家事をする暇もないほど、忙しく走り回るのが「仕事」なのでしょう。