わざわざ書かれた「道長を袖に振った話」の真相とは
その道長と紫式部はかなり近い関係であった。
式部は道長の娘の中宮の教育係。恋愛ドラマなら、家庭教師を務める女性と、生徒の父親のただならぬ関係に描かれそうだ。
ただし、『紫式部日記』には、道長が口説いてきたが、直(ただ)ちに断ったという記述がある。紫式部は道長を袖に振ったというわけだ。
しかし、これも式部がわざわざこのように記述するのはおかしい、と『源氏物語』の英訳を手掛けたアーサー・ウェーリーは書いている。
さらに、南北朝時代に成立した系図集『尊卑分脈』には、式部は道長の愛人(召人<めしうど>)であったと書かれている。
その記述は以下の通りで
「紫式部是也 源氏物語作者 右衛門佐藤原宣孝室 御堂関白道長妾云々」
とある。意訳すれば、「源氏物語の作者である紫式部は藤原宣孝(のぶたか)の正室であり、関白の藤原道長の妾であると言われる」となる。
ただし、これも平安時代から500年近くたったころの人名帳だから、どこまで正しいかわからない。
道長は次々と近親者を愛人にして高官に任命し、自らの権力基盤を固めた。彼の政治手法からすれば、紫式部が愛人であっても全く不思議ではないのだが……。