紫式部による清少納言の評価
ちなみに、紫式部が仕えた中宮彰子は一条天皇の后であった。
一条天皇にはそのまえに藤原定子という后がいたが、藤原道長が無理やり娘を天皇の后にした。
この定子に仕えていたのが『枕草子』の作者、清少納言であった。
定子は彰子が后になった翌年に亡くなっているので、清少納言と紫式部との直接的な衝突はなかったようだが、紫式部はかなり清少納言に辛口評価をしている。具体的な内容を紹介しよう。
『紫式部日記』には以下のように書かれている。
清少納言について、「風流がわかったふりをしている」、「男の使う漢字を偉そうに使って、でも間違っている」、「薄っぺらい女」(すべて意訳)などと書いている。
これは、宮中で人気のあった清少納言への紫式部の嫉妬の表れではないかと言われている。もしかすると藤原道長も紫式部の嫉妬に悩まされていたかもしれない。
※本稿は、『あなたの知らない日本史の大常識』(宝島SUGOI文庫)の一部を再編集したものです。
『あなたの知らない日本史の大常識』(著:日本博識研究会/宝島SUGOI文庫)
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