不仲説を後押しする政治背景
実際に不仲だったかはさておいて、お互いに相容(あいい)れない存在であったことは間違いなさそう。
彼女たちの不仲説を後押しする根拠に、とある政治的背景が存在している。
ときの一条(いちじょう)天皇は「一帝二后」というふたりの妻を置くシステムの祖であり、皇后に定子(ていし)、中宮(ちゅうぐう)には彰子(しょうし)を立てていた。
そして清少納言は定子に、紫式部は彰子に仕えていたのである。
実際に不仲だったかはさておいて、お互いに相容(あいい)れない存在であったことは間違いなさそう。
彼女たちの不仲説を後押しする根拠に、とある政治的背景が存在している。
ときの一条(いちじょう)天皇は「一帝二后」というふたりの妻を置くシステムの祖であり、皇后に定子(ていし)、中宮(ちゅうぐう)には彰子(しょうし)を立てていた。
そして清少納言は定子に、紫式部は彰子に仕えていたのである。