ライバルがいたからこそ?

仕える后(きさき)同士が対立しているのだから、ふたりが相反する関係であったことは想像しやすい。

とはいえ、ライバルがいたからこそ互いに高め合うことができたのもまごうことなき真実。

そんなふたりの対立関係が、女流文学の隆盛につながった……と言えるのかもしれない。

※本稿は、『あなたの知らない日本史の大常識』(宝島SUGOI文庫)の一部を再編集したものです。

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あなたの知らない日本史の大常識』(著:日本博識研究会/宝島SUGOI文庫)

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