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高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、94歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。
健康寿命を延ばす意味とは
本連載、「オーマイ・ダッド!」を読んでくださっていた方から、現在94歳の私の父の安否を気遣うメッセージがSNSで送られてきた。見ず知らずの方が父のことを気にかけてくださることを、大変ありがたく思う。
この3ヵ月、父は静かで温厚な年寄りになってしまって、私との戦いが激減した。エッセイで話題にできるようなバトルがなかったおかげで、冷静にこの数年の父との関係や、できごとを振り返ることができた。
認知症と診断される4、5年前から、父と私はしょうちゅう口喧嘩をしていた。互いに随分エネルギーがあったものだと感心するほど、毎日親子でやりあっていたのである。
米寿を迎えた頃の父は、まるで反抗期の少年のようだった。私は少年のわがままを矯正させようと必死の保護者というポジションだ。
「良い年寄り」になってほしくて、娘として必死になっていたように思う。忘れられないのは、父の好物のカレーライスを作った時のことだ。
「うまいな」と言ってカレーを口に運んでいた父が、2口目を口に入れる前に、スプーンでニンジンだけを取り出して、皿の縁によけた。
あ然として見ている私をよそに、父は平然と次のニンジンをすくう。皿の縁に5個のニンジン整列した時、私は急に腹が立ってきた。
「パパが食べやすいように、ニンジンを小さく切って入れたんだよ。どうして残すの?」
父は私の怒った顔を見ても、意に介さずに言い放った。
「俺は、昔からニンジンは嫌いだ」
「え? 初めて聞いたよ。この間までカレーに入っているのを普通に食べていたのに、どうして急に変わったの?」
驚いている私に、父は淡々と答えた。
「緑黄色野菜は健康にいいから食べろって、お前が言うから、仕方なく食べていただけだ」
私はむっとして、言い返した。
「そうだよ! 体にいいんだから、残さないで」
「この年まで健康で生きてきたのだから、これからは、嫌いなものは食べないって決めたんだ」
うーむ。父の言うことも一理あるような気がする。私も父の年齢になったら、好きなものだけを食べたいと思うかもしれない。私が反論しなくなったチャンスを狙っていたかのように、父は開き直った。
「人間、ニンジンを食べても食べなくても、必ずいつか死ぬんだ。だからもう食べない」
実際に死に近い年齢の人に言われると、ずしんと心に響く。
ニンジン、ナス、ブロッコリー、なぜかわからないが、醬油味の串団子……近頃、父の「本当は嫌いだったもの」が増えてきて、徐々に私はそれらを出すのをやめた。
最近は94歳の父が、楽しく食べられるものだけを作り、出すようにしている。定期的に病院で血液検査をしているが、特に異常は表れていない。