そして亡くなる数日前から、「私、死にます」と真剣な声で言うようになったのですが、私にとって死という言葉は重くて、とても返事をする気になれず涙がこみあげたものです。

夫と私の子はいませんが、夫には、前の結婚で生まれた娘がいます。ある朝、彼女が様子を見に来てくれました。「まだ寝てるのかしら」と、朝食を食べていた私と一緒に寝室に行ったのですが、娘が夫をひょいと見ると、「あれっ、息をしていない!」。びっくりして私に飛びついて、わっと泣き出しました。

でも私は、すぐには涙が出ませんでした。やるだけのことをやったし、これ以上私に大変な思いをさせないよう、静かに逝ってくれたんだ。なんと見事なんだろう、すごいなぁと、感謝の気持ちでいっぱいでした。

あれは亡くなる前日だったでしょうか。明け方、隣のベッドにいる私に「起きてますか?」と声をかけてきて。「墨子(ぼくし)は2500年前の思想家だけど、あの時代に、戦争はいけないと言っている偉い人です。だから、墨子を読みなさい」。今思えばそれが遺言でした。それなのに私は、まだ墨子を読んでいないんですけどね。

彼は終戦の年、東京の向島区(現在の墨田区)に住んでいました。一晩で約10万人の非戦闘員が亡くなった3月10日の東京大空襲を、かろうじて生きながらえたのです。

その経験が原点となり、終始一貫して、「戦争のない、平和な世の中を続ける」ことを願い続けたのだと思います。ちなみに打ち上げ花火はずっと嫌いでした。音と光が空襲を思い起こさせたのでしょう。