ところが、自分では納得していたつもりだったのに、これが想像していた以上につらかった。

お坊さんになるための得度式を経て、結婚した翌年に行った比叡山での修行は、先輩僧侶から厳しく指導される大変なもの。

そこで、朝から晩まで「井村!」と大きな声で呼ばれると、肉体疲労も相まって、呼ばれるたびに「私は井村ちゃうねん!」という、行き場のないストレスを感じました。

結婚後3年で子どもを授かったのですが、母子手帳を申請するときの姓も当然、「井村」。何度見ても自分でないように感じ、いっこうに慣れません。これまでずっと制度や世間体に疑問を呈してきたのに、結局それらに従わされているような恥ずかしさもありました。

そんなストレスの決定打となったのは、15年のことです。翌年から開始されるマイナンバー制度の準備で、個人事業主である私はあらゆる仕事先に「井村」姓を記入した書類を提出しなければならなくなりました。

数えきれないほどの書類に「井村」「井村」と書き続けるという苦行を続けたことによって、「もう無理! やっぱり私は井村じゃない!」と限界を感じてしまったのです。

後編につづく