「精神科に行くなら遠くの病院に」
「精神科を受診したいんだけど」
私のこの一言が、再び夫婦のバランスを崩したきっかけだったように思う。元夫はあからさまに顔をしかめて、「なんで?」と問うた。おそらく、変わる努力をしているにもかかわらず、妻がいっこうに元気になる兆しが見えないことに苛立っていたのだろう。
「うまく眠れないし、気持ちがしんどいから」
「しんどいって、どういうふうに」
「……あなたに言われた言葉がどうしても消えなくて、何度も思い出してしまって、しんどい」
躊躇いながらも本音を口にした私に、元夫は不機嫌さを隠さぬ声でこう言った。
「別に、病院に行くのは好きにすればいいけど。精神科に行くなら遠くの病院にしてね。もし通っているところを近所の人に見られたら体裁が悪いから」
同じような台詞を、過去、身内からも言われた。元夫との交際時にも私は精神科に通っており、当時の彼は通院に付き添ってくれたこともあったのに、夫になり、家族になったら、「隠したい」と思うらしい。内科も、外科も、呼吸器内科も、通っている事実を隠さねばと思う人はいないのに、精神科に通っている人だけが、「知られないように」と身をすくめている。そうさせているのは本人ではなく世間なのに、周囲は簡単に「堂々としていればいい」などという。
企業が掲げる障害者雇用においても、軽度の身体障害者のみを対象として雇用するケースは珍しくない。精神障害者は、「障害者枠」の中でさえ排除されがちだ。社会に蔓延する根強い差別と偏見が、精神疾患を患う人々の権利を損ない、可能性を狭めている。