写真提供◎photoAC
父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。
何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「親の性虐待が原因で貧困に。希死念慮、精神障害者への偏見…絶望の中に『死ねない理由』を読んで「生きる理由」を思い出した」はこちら

信じたいのに、信じきれない

人は簡単には変わらない。多くの人が口を揃えてそういうのに、目の前の人が「変わる」と言い切ってくれた時、その言葉を信じてしまうのはなぜだろう。

元夫から精神的DVを受け続けた私は、はじめての子育ての苦労も相まって、心身ともに疲労困憊の状態であった。我慢の限界を迎えて離婚を申し入れた途端、彼がこれまでの自分を悔い、「これからは変わる」と約束してくれたことは前回のエッセイで綴った通りである。

その後、彼はたしかに変わる努力をしてくれたように思う。不安定な私の体調を気遣い、家事や育児にも積極的に参加してくれるようになった。

しかし、元夫が変わったとて、彼が私に放った数々の暴言が帳消しになるわけではない。ふとした拍子に、過去が頭をもたげる。また以前のように暴言を吐かれるかもしれない。彼に優しくされればされるほど、不安が膨れ上がった。その感覚は、実家で過ごしていた日々とよく似ていた。さっきまで笑っていた母が、些細なことで激昂する。穏やかに煙草をふかしていた父が、突然灰皿を投げつける。地雷はそこかしこに散らばっていて、何が彼らのトリガーになるかわからない。そんな恐怖を抱えて暮らすうち、警戒心を持つことが常となっていた。

家族としてやり直そうと決めたからには、彼を信じたい。本心からそう思っているのに、どうしても怯えを拭えず、私は少しずつ心身のバランスを崩しはじめた。産後のホルモンバランスの乱れや、長男の夜泣きで睡眠が満足に取れない疲労も重なってのことだった。ストレスから食事を受け付けなくなったことで体重は一気に10キロ落ち、長男が眠っている間もうまく眠ることができず、昼夜問わず気持ちが落ち込む日々が続いた。