「できない」に追い詰められる日々

息子を愛している。でも、正しい母親でいられる自信がない。息子の父親との関係もうまく築けない。うつ病による倦怠感は凄まじく、家事を手抜きするよりほかなく、徐々に室内は不衛生になった。長男はアトピー性皮膚炎を患っているため、掃除や寝具の洗濯を少し怠っただけで症状が悪化する。肌をかき壊す彼を見るたび、責められているような気がした。

自分は、母親になる資格がなかったのではないか。

妊娠中から何度も頭をよぎった懸念が、再度頭をもたげる。愛されたことのない私が、まともに息子を愛せるのか。虐げることと「教育」の境目がちゃんとつくのか。元夫とは離婚すべきか、しないべきなのか。

私はいつになったら“ふつう”になれるのか。ぐるぐると回る思考に眩暈がした。背中から勢いよく抱きついてくる長男を、「うるさい」と思ってしまう。どうにか飲み込んだ言葉が、腹の中で腐っていく。

連日、虐待関連のニュースがテロップで流れてくる。あのニュースを他人事として眺められる母親が、この国に何人いるのだろう。何人の母親が、薄皮一枚のところを恐る恐る歩いているのだろう。

“「助けてって言ってみな」”

言いたい。「助けて」と、言いたい。でも、誰に?誰に言えば助けてもらえる?
わからなかった。わからないから、必死に頁をめくった。「助けて」と思いながら物語を読む。私には、ほかにすがれるものがなかった。だからこそ、もしこの世界に本がなければ、私はおそらく生き延びることができなかったろう。