嘉子は副会長に
嘉子は副会長となり、愛を助けて会の運営に関わっていきました。
ただし、嘉子自身は、女性の社会的・政治的・経済的な問題に対する運動にとても熱心だった、ということではありません。それは、嘉子が裁判官だったということがありますが、それに加えて、嘉子の気持ちは男性・女性ということに関わらず、「人間」であるというところにあり、また自身の仕事を通じて、男女平等の実現に関わろうとしていました。
愛・嘉子以外に、野田愛子(書記に選任されました)、渡辺美恵、鍛治千鶴子、人見康子(慶應義塾大学の共学一期生で、法学部法律学科の教授になります)、そして立石芳枝、石渡満子、渡辺道子などが初期のメンバーでした。
当初は小さな会でしたが、だんだんと人数は増えていきました。
1958年に「婦人法律家協会会報」第1号が刊行されますが、そこには85名の会員がいると記されています。
会員同士の親睦、研修、海外の法曹との交流(会の発足後すぐに、国際婦人法律家連盟にも加入しました)、女性法曹の地位向上などに向けて、積極的に運動していくようになります。
※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(著:神野潔/日本能率協会マネジメントセンター)
2024年度・前期連続テレビ小説「虎に翼」のモデルは、日本初の女性弁護士の一人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長・三淵嘉子(みぶち・よしこ:主演・伊藤沙莉、脚本・吉田恵里香)。
本書では、三淵嘉子の生誕から晩年までの生涯と、嘉子とともに歩んだ家族、友人、同僚たちについて紹介する。
嘉子が生涯を賭して成し遂げたかったこととは何だったのか。
「女性活躍」が求められる今にあって、その先駆者の生涯が今、明らかになる。