劇団のツアーで訪れた富山に心を奪われて

もともと僕は、アメリカでパペティア(パペット遣い)として活動していました。英語でパペットは「動かすもの」という意味ですから、人形でも影絵でも、それを扱う人はパペティアと呼ばれます。

人形劇と出会ったのは、高校を卒業してアトランタ市内で暮らしていたころです。アトランタにはアメリカ最大の人形劇団 The Center for Puppetry Arts があって、ルームメイトがそこで警備や庭師のアルバイトをしていました。彼から「人形劇といっても、子ども向けだけじゃない。すごく面白いよ」と勧められて、観たら僕もすっかりハマってしまい、「自分もここで働きたい」と思うようになったのです。

最初は小さい子どもをアテンドするアルバイトから始め、だんだんと劇団の人とも知り合いになって。あるときプロデューサーから「ジャック、パペティアになりたいと思ったことはある?」と聞かれ、「もちろん!」と答えました。

そのときのオーディションには落ちてしまったけれど、周囲の人に教わりながら、メインのショーの幕間に上演される短いショーに出演できるようになりました。それを1年くらい続けてから、地元の大学できちんと演劇を学ぶことにしたのです。

その1年半後、劇団から「面白い企画がある」と聞かされたのが、日米合作の人形芝居『怪談─Kwaidan』のプロジェクトでした。ニューヨークの演出家と日本の舞台美術家のコラボレーションで、小泉八雲の世界を人形で演じるというもの。興味を持った僕はいったん大学を休学して、まずアメリカ国内、続いて日本のツアーに人形遣いとして参加することにしました。その公演会場が、富山県だったのです。

成田空港に着いたのは夜で、飛行機を乗り継いで富山空港へ。翌朝になって、ホテルから見えた景色の素晴らしさにすっかり心を奪われてしまって。アトランタは自然豊かな街ですが、海まで車で4時間くらいかかるし、アパラチア山脈はなだらかであまり山らしくない(笑)。

富山はこっちを向いたら海、あっちを向いたら険しい山がすぐ目の前。さらに来日したのが秋で、6週間の滞在の間に立山連峰が雪でちょっとずつ白くなり、裾野は紅葉で色付いていく。なんて繊細で美しい自然なのだろう、と感動しました。

もう一つ感動したのが、人の素晴らしさです。23歳で初めてアメリカから出て、しゃべれる日本語は「コーヒーください」だけの僕にとって、大変なことが多かったのも確かです。でもそれも含めて、ぜんぶ面白かった。すべてがチャレンジ。

それを一緒に乗り越えてくれた富山の人たちの人間的な温かさと、アートへの感性。そんな素晴らしい人と直接コミュニケーションできない自分が、すごくもどかしく感じて。いつかちゃんと皆さんと話せるようになりたい。そして必ず富山に戻ってこようと心に決めたのです。

そのために一番良い方法は何か、とアメリカに帰った僕は考えました。人形遣いでアーティストビザを取っても、滞在できる期間は短い。いろいろ調べて、やはりALT(外国語指導助手)として来日するのがいいとわかった。そこで一度大学に戻って日本語を勉強して、2003年に再来日することができました。