六道珍皇寺にある「冥土通いの井戸」

このような伝説から、ファンタジーの世界の住人のように思える小野篁ですが、れっきとした実在の人物。嵯峨天皇に仕えた公卿(参議)で、飛鳥時代に遣隋使として活躍した小野妹子の子孫にあたるとか。6尺2寸(約186センチ)という当時としてはかなりの長身で、反骨精神にあふれる熱血漢だったそうです。

天皇の怒りをかって隠岐に流されたこともあるものの、早々に流罪を解かれて帰京。文武に優れ、漢詩や和歌、書の達人として知られていました。

わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕ぎ出でぬと 
人には告げよ あまの釣舟

隠岐に旅立つときの悲しみを詠んだこの歌が、百人一首にも採録されています。

「わたの原……」の和歌が刻まれた歌碑
百人一首にも採録、小野篁が詠んだ「わたの原……」の和歌が刻まれた歌碑

昼は朝廷の、夜は閻魔庁の役人として、あの世とこの世を行き来して働いていた――奇怪な「小野篁・冥官伝説」が生まれた経緯はよくわからないものの、平安末期にすでに伝説となり、室町時代にはほぼ定着していたとか。

また、毎夜の冥府との行き来には、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にある井戸を使っていたそうです。

六道珍皇寺のあるあたりは、古来より、六種の冥界「六道」の分岐点、つまり「この世とあの世の境の辻(六道の辻)」だと考えられてきました。今も六道珍皇寺の本堂裏には、篁が冥土通いに使ったとされる井戸があり、伝説に信憑性を与えているのです。

観光客が押し寄せる八坂神社や清水寺からもそう遠くない場所ですが、この門前を通ると、身震いするような何かを感じるという人もいるほど。小野篁や「冥界の入口」に興味がある方は、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

この世とあの世の境と言われていた六道の辻