――いったいなにを書けばいいの? 昨日、新竹の市場で見た牡蠣のオムレットについて、やっぱりもうちょっと書いてみたらよかったんだろうか。それとも市場でのんだとびきりおいしいジュースのこと? ええと、玉蘭にごちそうしてもらったあのゼリーの名前は、ウーギョ、それともオーギョだったかしら――。
 八百屋の前で立ち止まって考え続けていたら、すぐ隣をセーラー服の女学生が三人、軽やかに駆け抜けていって、玉蘭が買ってくれたのと同じゼリーを注文した。いまは夏休みだから、なにか学校での用事があったのだろうか。
 漏れきこえてくる弾むような声で、その飲み物が愛玉(ウーギョ)という名前だったことをハルは思いだす。女学生たちは、いかにもおいしそうに愛玉を口のなかにすべりこませている。台中高女は校則が厳しくて帰宅途中の寄り道もだめなんだ、と前に玉蘭がいっていたけど、私立の恩寵高女はもうちょっと自由なんだろうか。
 そののどかな風景を見ていたら、ハルは急にこれまで見落としていたことに気づいて、あっと声を上げた。
 ――あたし、内地の視点からこっちの市場を見ていた!
 台湾の読者に、屋台で普段食べられている料理を紹介することにはなんの意味もないんだ。もう知っているんだから。もちろん雑誌の読者には台湾在住の日本人もいる。けれど、こっちで生活していて、内地からきたばかりの日本人の目にとまった食べ物を知らないなんてことはないだろう。それに百合川が『黒猫』を届けたいのは台湾の若い女性たちだ。
 そう考えると、百合川が二日前の編集部で辛辣な言葉のあとにひとりごとのように漏らした、内地ではわたしたちの文化は見世物のようなものだからな、という言葉の意味が、はじめて腑に落ちた。内地の雑誌に描かれる、南国台湾の「新奇な風俗」じゃなくて、台湾の女性たちにとって刺激的な題材をみつけなきゃいけない。
 だけど、台湾に住むひとたちがまだ知らないようなテーマを、台湾語もできないあたしがみつけることなんてできる――? それともあたり前すぎて見落としているものがあるのだろうか。