前近代の「ひとりみ」はいわば社会のマジョリティだった
積極的な理由にせよ消極的な理由にせよ、「ひとりみ(独り身)」だった人たちが紡いできた歴史がある。古典文学から古文書までをわかりやすく引用し、歴史書にありがちな「時系列」ではなく、どういう種類のひとりみだったのかという「テーマ別」に章立てをして俯瞰させてくれる。まずはこの「切り口」が興味深い。
貧しくてひとりみの場合も、お金がありすぎてひとりみの場合もあり、さらに職業としてひとりみでなければならない場合もあり、家同士の契約つまり権力の維持や増大のための婚姻から逃れるひとりみも存在した。
ある意味でひとりみで生きていられるというのは、世俗から距離をおく自由を勝ち取るということであった。神話の時代から神様はひとりみが多いし、女帝は即位前に夫や子がいたという(即位後に独身であることを求められるのは「女系天皇」をつくらないため)。
つまり「結婚」というのは、いまよりもかなりフレキシブルな「関係」であったと捉えることもできる時代もあったのだ。
注目すべきは小野小町の存在だ。男たちの求婚を断り続けた小町が、男を翻弄する女として描かれるようになり、家父長制の価値観が定着した後世には好色とか病気もちとして偏見だけで描かれるようになる。気の毒だ。
結婚が良いものだという「思想」は、どこからきたのだろうか。本書を読んでほしい。「結婚をしていない」ことに意味がある現代の価値観とは違った風景が見えてくる。
歴史を繙くということは、「いま」を考えることでもある。筆者が「国や自治体が税金を投じて婚活を推進するようなスタンスは、ひとりみでいることが、国や自治体の意に背いているかのようにも取られかねず、ひとりみへの偏見や差別にもつながりかねないのではないだろうか」と指摘する通り、いま一度「結婚」とはなにか、ひとりみでいることは悪いことなのかを社会で考えたい。