その後も大きな余震が続きました。町内の防災無線からは絶えず地震速報の音が鳴り、ひび割れた道路には漏れた水が溢れ出ています。雪がないといっても寒い。家が倒れないことを祈りながら大急ぎで中に戻り、コートと靴、カイロなどをかき集めて外に出ました。

1秒たりともいたくない――。つい10分前まで安心してのんびりと過ごしていた家の中が、そのときは物凄く怖かったのです。

同じように外に出てきた近所の人に、「津波が来るらしい」と伝えられたときは、信じられませんでした。だって、ここから海までは距離がある。とはいっても、車を20分も走らせれば着いてしまう。でも途中に大きな橋もあるし……。

考えている間にも、町内の人たちが車でどこかへ避難していきます。それを見て、車を持っていない私と母は、取り残されてしまうのではないかと猛烈な焦りを感じました。

今だから落ち着いて思い返すことができますが、あのときは選択の連続でした。正解なんて誰もわからないのに、短時間で「最善の道」を選ばなければいけません。次から次へと迫られる決断。しかも自分たちの命がかかっています。一つ一つの選択が重く、心身ともに苦しめられました。

幸い町内の人が車に乗せてくれて避難所に辿り着き、初めての避難生活が始まりました。家は断水していて、何より余震が続くなかで天井が落ちそうな家には怖くて帰れません。

今までの自然災害は自分には関係のない「他人事」になっていたと痛感しました。まさか自分が被災する側になるなんて。地震から6ヵ月以上経った今も、どこか自分が経験したことではないかのように感じてしまいます。