「笠置シヅ子とその楽団」の解散

1944(昭和19)年、「笠置シヅ子とその楽団」が不本意なかたちで解散し、シヅ子は服部良一はじめ、多くの人のサポートを受けてフリーの歌手となった。

この頃になると各地の劇場は次々と閉鎖され、勤労動員の工場への慰問や、地方の小さな芝居小屋などにも出演していた。

『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

この年1月11日の東京新聞にこんな広告が出ている。銀座全線座で11日から「天下無双 春の実演 川田義雄二年ぶりの中央出演 川田義雄と笠置シヅ子の初顔合わせ」公演である。

川田義雄は、1937年から1939年にかけて「吉本ショウ」で大人気だった「あきれたぼういず」のリーダー。1939年、メンバーが新興キネマ演芸部に引き抜かれ、一人だけ吉本に残って、川田義雄とミルクブラザースを結成。

映画に舞台に、戦前を代表するコメディアンの一人だったが、脊椎カリエスの療養でしばらく休業していた。

その復帰を、笠置シヅ子との共演で華々しく行うというものだった。

銀座全線座は1938年開館の映画館だが、この頃は洋画の上映もできなくなり、実演にも力を入れていた。