桜木 10代の頃から、自分の意志で人生を切り開くって、自立心のなせる業です。私は、「長女なんだから、家業を手伝え、跡を継げ、将来は親の面倒を見ろ」と親に言われて育ち、結婚して子どもを持つまで、その言葉から自分を解き放つことがまったくできなかった。反対されてもかまわない、小説を書こうと決めたのは30代になってからのことでした。
麻紀 それは紫乃さんが真面目だったからよ。あたしは「自分の身を守るには、どうやって生きていけばいいんだろう?」って、小学生の頃からずっと考えていた。背も低くて小柄だったので、男の子たちとケンカをしたら絶対に負けちゃうからね。
それで、番長のような強い男に情婦のようにすり寄ってサバイバルしていく生き方を身につけたわけ。とりあえず、男として生まれたけれど、男らしく生きていくのは自分には合ってないって幼い頃からわかっていたから。
それで15歳のときに家出して、ゲイボーイになったのね。父には「バケモノ!」と言われ、兄には「女の恰好をするなら、二度と家の敷居はまたがせない!」と言われたけど、「頼まれたって、二度とまたがないよ」ってタンカを切ってね。
桜木 まさに、パイオニア。麻紀さんは開拓者なんですよ。
初めて赤い口紅を買った
麻紀 故郷に自分の居場所がなかったから、自分で探しにいっただけよ。
桜木 私はそんな麻紀さんの生き方に惚れ込んで、今回小説として書かせていただこうと思ったんです。私は親の言うなりで10代を過ごしてしまったので、麻紀さんをモデルにした今回の小説の主人公の秀男くんがどんなふうに育っていくのか、証明問題を解くような気持ちで書いていました。54歳にもなって青臭いですけど(笑)、私自身の「生きる答え」を探したいという思いもあって。
麻紀 紫乃さんの小説は全部読んだけど、実在の人物をモデルにして書くのは今回が初めてなんでしょう?
桜木 はい。丸ごとモデル、というのは初めてです。
麻紀 最初は不思議だったのよ。あたしはまだ生きているのに「あたしの人生を、紫乃さんはどうやって小説にするんだろう?」って。
桜木 当初はこんなことしてもいいのだろうか、という迷いもありました。でも、半分くらい書いたときに腹が決まったんですね。
「グッピー」という新宿のショーパブに麻紀さんに連れていってもらったときに、めちゃくちゃきれいなニューハーフのママさんが、「私たちが今ここにいられるという意味で、麻紀さんは私たちにとって歴史上の人物なんです」とおっしゃって。
そうか、周囲からそう思われているならば、もはや織田信長と一緒。小説という虚構の世界でしか伝えられないことがある、と思えるようになったんです。
麻紀 虚構というだけあって、いろんな話をしても使いやしないし(笑)。かと思えば、ポロッと口にした言葉をまったく違うシチュエーションで使って、「なんで、そんなことまで知っているの?」と、あたし自身も驚くような物語を創り上げていく。さすが作家だなと思いましたね。
桜木 ゲイボーイ時代に接客の修業を積まれた麻紀さんは話芸の達人ですから、「本当の話」は麻紀さん自身が語るのが一番面白いんですよ。だからこそ、私は麻紀さん自身がこれまで語らなかったことや、これからも語るつもりのないことを書きたかった。
それには虚構という形にするしかなかったんですね。小説にしたことを、麻紀さんは決して喜んではいないと思うけど(笑)、でも、「汚く書いて」と言われたときに、「ああ、わかってくださっているのだな」と。
麻紀 紫乃さんのことは信頼しているし、そもそも、きれいに書かれた小説なんてちっとも面白くない。だから、「書くんだったら、とことん汚く書いてね」と言ったのよ。