「小少将の君」「大納言の君」と紫式部の関係

おそらく彰子サロンでの紫式部との関係は、当時の感覚なら、「あのお嬢様が学者風情の娘とご親友!?」という感じで見られていたのでしょう(平安マンガ、D・キッサン『神作家・紫式部のありえない日々」には、『源氏物語』オタクの姫として出てきます)。

『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』(著:榎村寛之/中公新書)

『紫式部日記』には彼女のことを「2月のしだれ柳の若芽の風情で、自己主張をせず、悪口など言われたらすぐにダメになってしまうような子供っぽさがあり、とても高貴で魅力的なのに、人生をネガティブに思っている」とする記述があります。

実は紫式部は上臈女房たちが気に入らなかったようで、彼女らが「あまりに引きこもり気質すぎて奥ゆかしがる」ことが彰子サロンの活気を奪い、気が利かなくて子供っぽいという評判を立てられることの元凶だと見ているのですが、小少将の君は特別な存在だったようです。

そして、紫式部は、同じく彰子に仕えた女房で、小少将の君の姉とも従姉妹ともされる「大納言の君(源廉子)」とも仲が良かったのですが、彼女からは、彰子の安産祈願をしている頃に、摂関家の栄華に比べての「憂き我が身」を嘆く歌が送られたとあります。

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澄める池の底まで照らす篝火にまばゆきまでもうき我が身かな

(澄んだ池の底まで明るく照らす篝火のような道長様の栄光のおかげを受けている私たちだけど、それがかえって、私たちの身の置き所が他にない憂いを浮立たせるのよ)