わずらわしくなった紫式部は…

そういった性行の一環でもあろうか、当時宣孝は、すでに子を生(な)した女性が3人いるにもかかわらず、近江守(おうみのかみ。源則忠か)の女(むすめ)にも求愛していたらしい。

それなのに「あなた以外に、二心はない」などとつねに言ってくるというので、わずらわしくなった紫式部は、

(写真提供:Photo AC)

みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十(やそ)の湊(みなと)に 声絶えなせそ
<近江の湖に友を求めている千鳥よ、いっそのこと、あちこちの湊に声を絶やさずかけなさい。あちこちの人に声をおかけになるがいいわ>

と言って送った。また、海人が塩を焼き、投木(なげき。薪のこと。「嘆き」と掛ける)を積んだ様子を描いた「歌絵」とともに、つぎの歌も送っている。

紫式部が描いた絵が残っていれば、是非とも見てみたいものである。

よもの海に 塩焼く海人の 心から やくとはかかる なげきをやつむ
<あちこちの海辺で藻塩を焼く海人が、せっせと投木を積むように、方々の人に言い寄るあなたは、自分から好きこのんで嘆きを重ねられるのでしょうか>

このような返歌をするほどに、二人の仲は接近していたという解釈がもっぱらである。

いよいよ女が優位に立っていて、多情をなじるのも女の側の傾斜の表われであるとのことである(清水好子『紫式部』)。そんなものなのであろうか。