授かった命、重症悪阻再び
2人目の妊娠は、スムーズにはいかなかった。妊活をはじめてほどなく授かった命は、あっという間に空に帰った。そのことを機に私たち夫婦の関係は一時悪化し、妊活どころの話ではなくなった。だが、その後も折に触れて長男が発する願いに背中を押され、ようやく待望の2人目を授かった。長男が「きょうだいがほしい」と口にした日から、およそ1年半が過ぎていた。
元夫と長男は、素直に喜んだ。私の中にも抗いようのない喜びが芽生えたことに、ひそかにホッとしていた。だが、それ以上に悪阻が重く、長男の時と同様に水さえも吐き戻し、連日つらい日々を過ごした。長男の育児があるため、今回は寝込む暇がない。特につらかったのが幼稚園のお迎えで、毎度フラフラになりながら園庭にたどり着いた。時には、園内のトイレを借りて嘔吐したこともある。私の顔は常に土気色で、周囲のママたちも徐々にその深刻さを理解したようだった。
「話には聞いていたけど、こんなに酷いなんて」
「悪阻は一時のものだから」と2人目を促してきたあるママは、そう言って謝ってくれた。日増しに痩せていく私の容貌は、幸せそうな妊婦のそれではなく、明らかに重病人の様相を呈していた。どんなに口で説明しても、目の当たりにしなければわからないこともある。同じ「母親」だからこそ、自分が体験したものが基準になるため、分かり合えないことも多い。重症悪阻の苦しみは、世間一般でも軽視されがちだ。実態を知り、安易な発言を謝ってくれた人がいたことは、私にとってささやかな救いだった。
誰よりも私を心配してくれたのは、他ならぬ長男だった。彼は、私がトイレで吐き戻すたびにすっ飛んできて背中をさすってくれた。だが、元夫は悪阻には無関心で、私がどれだけえづいていようとも、スマホゲームをしたりテレビを見て笑ったりしていた。そんな父親に対し、ある日、長男がキレた。あの日の彼の言葉を、彼の涙を、彼の揺るぎない温もりを、今でも覚えている。あの日、私は心の底から、「母になってよかった」と思えた。