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父親による性虐待、母親による過剰なしつけという名の虐待を受けながら育った碧月はるさん。家出をし中卒で働くも、後遺症による精神の不安定さから、なかなか自分の人生を生きることができない――。これは特殊な事例ではなく、安全なはずの「家」が実は危険な場所であり、外からはその被害が見えにくいという現状が日本にはある。
何度も生きるのをやめようと思いながら、彼女はどうやってサバイブしてきたのか?生きていく上で必要な道徳や理性、優しさや強さを教えてくれたのは「本」という存在だったという。このエッセイは、「本」に救われながら生きてきた彼女の回復の過程でもあり、作家の方々への感謝状でもある。

前回「きょうだいを望む長男と、妊娠が怖い母。夫婦の不仲を乗り越えて命を授かるも、元夫は無関心を貫いた」はこちら

「しょうがなくない!」父に憤る息子

「お父さん冷たい!なんでお父さんは、お母さんに『大丈夫?』って言ってあげないの?!」

次男を妊娠して3ヵ月が経った頃、長男が父親に吠えた。私は体質的に悪阻が重く、いわゆる「重症悪阻」であった。水分も満足に摂れず、病院に点滴に通う日々。尿検査では毎回ケトン体の数値が高く、脱水と栄養不足を指摘された。妊娠すると10キロ以上痩せる。それがどれほど異常なことか、実体験に勝る説明はない。

意識のある間中、耐え難い吐き気が続く。何かを口に入れれば、固形、水状問わず吐いてしまう。そういう日々を過ごす中で、私の不調に比例して長男の心配は増していった。

自分が「きょうだいがほしい」なんて言ったから。

長男の中には、いつの間にか自責の念が芽生えていた。彼の希望を叶えるために踏み切った2人目の妊娠。その結果の悪阻。だが、それは長男のせいではないのだと、どう説明したら伝わるのかわからなかった。

「なんでお母さんがこんなに苦しそうにしてんのに、ゲームしてんの?!」

長男は、私よりも苦しそうな顔で父親に食ってかかった。自分への不甲斐なさが、無関心な父親への怒りを加速させたのだろう。元夫は、掌の中にあるスマホを持て余しながら、それらしい言い訳を並べた。

「だって、しょうがないじゃん。妊娠したら悪阻があるのは当たり前だし、いちいち心配するようなことじゃないよ。大丈夫?って言ったところで、悪阻が治るわけでもないしさ」

「しょうがなくないよ!だって、苦しそうにしてるじゃん!」

気づけば、長男は泣いていた。私もこの時はどうにも堪えきれず、彼と共に頬を濡らした。元夫の無関心が悲しかったからじゃない。長男の優しさが、ただただ嬉しかった。