◆「もう日本は終わりだな」とつぶやいた父
父の帰宅がだんだん遅くなっていったのは、私が小学校に通い始めた42年ごろだったでしょうか。その年の6月、日本はミッドウェー海戦に大敗したのです。
43年のある夜のこと、遅くに帰宅した父が玄関で靴も脱がずに、「五十六が死んだ。もう日本は終わりだな」と肩を落としてつぶやいたと、戦後になって母や姉から聞きました。
父は山本五十六と義理のいとこ同士というだけでなく、三国同盟や日米開戦に反対し、軍部の暴走をくいとめようと命懸けで闘う姿に深く共感していたようです。そんな父にとって彼の死は、一縷の望みを絶たれるようなものだったのでしょう。
戦況が悪化するにつれて、徹夜の激務が続くようになった父は、1年後、急性肺炎を患うと、わずか3日であっけなく亡くなってしまいました。
18歳上の長兄は、音楽や映画や絵画が好きでした。ピアノやアコーディオンを演奏し、対英米戦に突入した後も、離れの自分の部屋で、こっそりアメリカの音楽を聴き続けていたようです。兄のスケッチブックには、金髪に真っ赤なつば広帽子の女性がマイクに向かって歌っている絵も残っていました。レコードのジャケットをデザインして描いていたようです。
兄の大学時代の日記には、驚くべきことに当時、週に3本も映画を見ていたとあります。真珠湾攻撃の直前まで、渋谷や新宿の映画館ではアメリカ映画が上映されていたのです。その映画評が克明に記録されている。兄が生きていたら、絶対に映画評論家かイラストレーターになっていたでしょうね。
日記の中に、「自分が金髪の女性の絵を描いていたら、部屋に入ってきた弟が絵を見て、『何だ、それでも人間か』と言った」と書かれていました。次兄にとっては、もう人間ではないんですよ。忌まわしい姿の敵なの。