◆「かわいそうに、 これをめしあがれ」

15歳上の次兄は、父の背中を見て軍人に憧れ、猛勉強して麻布中学から海軍兵学校に入りました。

そのころの海軍の将校さんたちと言ったら、今ならロックスターのような存在で、夏の制服姿なんてめちゃめちゃかっこよかった。兄は当時のヒーローでしたね。パイロットになって、その後は特攻隊の隊長。

そして終戦後は3年間、行方不明でした。3年後に奇跡的に帰ってはきましたが、90人ほどの部下を死なせていますから、夜中に何度も飛び起きて叫ぶんです。「行くな! まだ死ぬな!」。

12歳上の姉は、女学生といっても毎日勤労奉仕。工場で兵隊さんや武器工場の人たちの食べるものを作っていましたが、「そこにはお砂糖もチョコレートもどっさりあったのよ」と話していました。

44年の夏頃、父のふるさとの山形県米沢の祖母のところに疎開しました。小学校2年生の時です。学校といっても授業らしい授業なんかありません。毎日、連合軍の上陸に備え、竹の棒を薙刀にみたてて振り回す教練ばかり。

米どころとはいえ、家に食べるものはなく、イナゴの羽をむしり、ゆでてしょうゆで煮たものや、カボチャのつるが浮かぶすいとんばかり。白いご飯をお腹いっぱい食べる夢を何度も見ました。

ある日、とうとう我慢できなくなって、家の前で「白いご飯が食べたい、食べたーい!」と大泣きに泣いて絶叫。すると、向かいの家に住んでいた若いお母さんが、赤ちゃんを背負って、炊き立てのご飯を握って持ってきてくれたの。

「まんず、もごさいこんだなし。これ、おあいなってくだいし」と言って。「かわいそうに、これをめしあがれ」という米沢弁。そのおいしかったこと! 忘れられません。この世で最後に食べるとしたら、私は絶対に塩むすびですね。

いつも太陽のような笑顔の湯川さんと(左は筆者)