定年後の自分の姿

ただ、定年後の自分の姿は、いまひとつ想像できない、と言います。

「私たちが若い頃には、働いている女性のロールモデルがいた。でも、いまステキな老後を過ごしている、元働いていた女性のロールモデルがいない。見かけるのは、夫の収入で悠々自適そうに見える専業主婦とか、亡き夫の遺族年金で優雅そうに暮らしている人とか。ずっと独身の60代、70代のおひとりさまで、自分で働いてきて、いまステキな老後を過ごしている人の話が見たい、聞きたい。希望が持てるから」

老後はおひとりさま同士、友だちと同居するとか考えません? 誰かとの同居は「ない」と、ちひろさんは断言します。「私、一人っ子で、家族以外の人と暮らしたことがない。だから誰かと同じ部屋で暮らすのは苦手。プライベートがあった方が良い。スープの冷めない距離で、何かあったらヘルプに行かれるくらいの近所に住む、というのなら良いけれど」

『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

同じマンション内や近隣に、友だちが住んでいれば安心かもしれません。ちょうど、知人が最近、近所に独身女性向けの賃貸マンションを作りました。とはいえ、家賃は結構お高くて、老後の家として引っ越して来るには非現実的です。「老後に友だちと近住」という選択肢は理想的に聞こえますが、家賃が安い地方や郊外ならばいざ知らず、東京都内では実際には難しそうです。

ところで。ちひろさんが、今の会社に大卒で入社したのは、1988年でした。均等法が施行されて2年目に就職活動をした、均等法2期生です。「当時は、女性も自分で稼いで、自立して生きるのがかっこいい、とされた時代だった」と振り返ります。確かにそういう時代でした。

当時、銀行やメーカーなどは均等法に対応するため、コース別人事(男性は全員総合職、女性はほとんどが一般職)を導入し、ごく少数の女性だけを、言い訳のように、総合職として採用しました。広告塔ですね。実際には、ほとんどの女性は一般職として採用され、明文規定はないものの「25歳定年説」や、結婚したら女性は退職するという「寿退社」の慣習が残っていた会社も少なくありませんでした。

そんな中、ちひろさんの業界は、「結婚しても子どもを産んでも、仕事を続けられる」と謳っていました。仕事と家庭の両立を目指す女性たちは、この業界を希望したものです。ただし、実際には、少数の幹部候補生の男性と、その他大勢の女性という、コース別人事の変形版のような仕組みでした。男女でキャリアパスが異なる会社もありました。