ヨチヨチと歩く夫の手をにぎり桜吹雪のトンネルくぐる
(東京都・角田トシ)
●評●
ヨチヨチ歩くとくれば、たいていの人は幼児を思い浮かべるだろう。その慣用的な連想を逆手にとった。歩行の主は実は「夫」。幼子に戻ったようなその人への愛あればこそ、成立する表現だ。
ヨチヨチ歩くとくれば、たいていの人は幼児を思い浮かべるだろう。その慣用的な連想を逆手にとった。歩行の主は実は「夫」。幼子に戻ったようなその人への愛あればこそ、成立する表現だ。
なげた石ひとつふたつと水をけるあいたいですとなんどでも言う
(長野県・宮澤敏美)
●評●
水切りの石を、うまくいくまで何度でも投げるように、会いたいですと何度でも言う。上の句が、比喩でありつつ、実景でもあるところが魅力だ。「石」「水」「言」だけを漢字にしたのも効果的。
水切りの石を、うまくいくまで何度でも投げるように、会いたいですと何度でも言う。上の句が、比喩でありつつ、実景でもあるところが魅力だ。「石」「水」「言」だけを漢字にしたのも効果的。
今日は父に優しくしようと好物のピオーネ買って実家に帰る
(埼玉県・間由美)
●評●
今日「は」であるから、なかなかいつもは優しくできないのだろう。まずは父の機嫌がよければ、自分も優しくなれる。ピオーネ(この具体性が効いている)は自分のためでもあるのだ。
今日「は」であるから、なかなかいつもは優しくできないのだろう。まずは父の機嫌がよければ、自分も優しくなれる。ピオーネ(この具体性が効いている)は自分のためでもあるのだ。
「もう一杯おかわりは?」と聞くテーブルに二人で摘んだからし菜の花
(滋賀県・りぃ)
●評●
さりげない日常のスケッチだが、幸せの御裾分けをもらったような豊かな気持ちになる歌だ。気遣いにあふれた問いかけ。そしてからし菜を摘んだ時間が、この食卓に重なり、幸せがダブルに感じられる。
さりげない日常のスケッチだが、幸せの御裾分けをもらったような豊かな気持ちになる歌だ。気遣いにあふれた問いかけ。そしてからし菜を摘んだ時間が、この食卓に重なり、幸せがダブルに感じられる。