強さへの執着

討論会後もCNNを見続けていたら、アンカーのアンダーソン・クーパー氏による副大統領カマラ・ハリス氏のインタビューで、予想以上にバイデン氏の弱さが槍玉にあげられており驚く。高齢であることの懸念を払拭するのが大命題だったとはいえ、ほかの候補者を立てられなかったのは党の問題だ。しかも、トランプ氏は34件の刑事裁判で有罪評決を受け、連邦議会議事堂襲撃事件を誘発したとして起訴されている。

ベストとは到底思えないが、苦虫を噛み潰したような顔でバイデン氏を選ぶのが選挙権を持つ良識的なアメリカ人の責務だと思っていた。しかし、コメンテーターはバイデン氏の弱々しさにショックを隠し切れないといった様子で、強さのアピールではトランプ氏が上だったと言わんばかりである。

世界にはプーチン大統領がいて、習近平国家主席がいる。米国大統領を務めるには力強さのアピールが必須かもしれないが、強さへの執着が高齢者2人の揚げ足取りを招いたとは言えないか。家父長制のなれの果てがこれだ。強さだけでは民衆をまとめられない時代になったにもかかわらず、旧来の価値基準で人選をしたから両党ともに新しい適任者が見つからなかったのではないだろうか。

都知事選でも、打ち出しの強さで候補者を称える投稿をSNSでいくつか見た。コロナ禍やテロ事件を乗り越えた、ニュージーランドのアーダーン元首相を忘れたのだろうか。「心配性でも、繊細でも、泣き虫でも、リーダーになれる」と言った彼女のことを。

国家規模が大きく異なり、首相と大統領では権限が違うことも理解している。しかし、世界最強とされる国のトップ候補がこうなったことを考えると、性別にかかわらずリーダーの資質を再定義することが急務だろう。「強さ」に最も手が届きやすいのは健康な成人男性だ。それを最重要視するのは、さまざまな属性を尊重しようと努める時代に相応しいとは言えない。


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