あの「お耽美」雑誌には雑多が詰まっていた!
これは貴重な歴史の証言ではないか!
1978年に創刊された雑誌『JUNE(ジュネ)』。その企画、創刊を担った編集者、佐川俊彦氏による回顧録。現在のBL隆盛の礎ともなる、「美少年」ブームの立役者である。
まだBLという言葉も、「やおい」という言葉もなかった70年代。少女マンガの世界では萩尾望都『トーマの心臓』、竹宮惠子『風と木の詩』、木原敏江『摩利と新吾』、山岸凉子『日出処の天子』(連載開始は80年)が続々と発表されていた時代。予算の限られた小さな出版社が、「美少年」「美青年」による「男の子同士の愛」を軸に据えた「お耽美」(「耽美」よりもエンタメ・パロディ志向)な雑誌『JUNE』を創刊した。
その中心にいた人物こそ佐川氏であったのだが、雑誌のコンセプトもさりながら、その内容はマンガだけでなく、予算の都合もあって活字も豊富で、企画力を武器に魅力ある誌面づくりをしていた。そしてこの雑誌の各要素は、実は同時代のアニメ雑誌『OUT』や、評論やインタビューも掲載していたマンガ雑誌『COM』、サブカルチャー発信の嚆矢でもある『ビックリハウス』の影響下にあったことが語られる。つまり『JUNE』は、この時代の雑誌文化のなかでも、雑誌的な「雑多さ」を圧縮した雑誌だったのである。こりゃ面白いわけだ。
竹宮惠子氏は自伝『少年の名はジルベール』(小学館文庫)で、この時代の、作家と読者の距離の近さがいまに続く同人文化の源流にもなっていると指摘しているが、大手商業マンガ誌の男性編集者にはこの「同人的」盛り上がりは理解できなかったようだ。一方で佐川氏はこの時代に敏感に反応していた。まさに初代腐男子! 中島梓と竹宮惠子という支柱を捉まえて文化を醸成していくさまがリアルに証言されている。
あの頃の少女たち、必読!