訪れる人もほとんどいない静かな墓所
一説では、晴明は死後、嵯峨に葬られたとされているので、このお墓は、その伝承とも矛盾しません。その後、年月とともに荒廃していましたが、1972年、現在の形に整えられたようです。
墓所の入口には「陰陽博士 安倍晴明公 嵯峨御墓所」との石碑が。お墓とはいえ、神道式に鳥居もあり、五芒星こと「晴明桔梗」も刻まれています。
こじんまりとした墓所ですが、春には河津桜が彩りを添えます。おそらく、晴明神社近くにある「一条戻橋」が河津桜の名所であることを意識したのでしょう。
晴明は、自分が操っていた式神(陰陽師が使役する鬼神)を一条戻橋の下に住まわせていた――そんな逸話もよく知られています。『光る君へ』では、晴明の従者、須麻流(すまる)が式神を想起させる役回りのようですが、須麻流は橋の下に住んでいるわけではなさそうです。
常に多くの人が訪れる晴明神社とは対照的に、こちらのお墓は閑静な住宅街のなかにあり、お参りに来る人もほとんど見かけません。あの有名な安倍晴明のお墓とは信じられないほど。おそらく、『陰陽師』ファンにもあまり知られていないのではないでしょうか。
渡月橋にも近く、多くの観光客が行き交うエリアではあるのですが、駅に向かう道から脇に入った場所なので、まったく目につかないのです。私も、犬との散歩の途中にたまたま見つけて、「なぜ、こんなところに?」と不思議に思っていました。調べてみると、やはり、あの晴明のお墓だったというわけです。
Google Mapにもしっかり載っているので、気になる方は、嵐山観光の途中に、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。