晴明伝説の舞台となった遍照寺

嵯峨嵐山近辺にある、知る人ぞ知る名所をもうひとつ紹介しましょう。それが広沢池と遍照寺。紫式部にも、安倍晴明にも、ゆかりのある場所です。

大覚寺の南東に位置する広沢池は、以前、この連載でも紹介した大覚寺境内の大沢池と同様に、平安時代から月見の名所として知られていました。歌枕になるほど風光明媚な場所で、平安貴族たちは、ここで月見を楽しみ詩歌を詠んだのだそうです。

広沢池は別名・遍照寺池とも呼ばれ、もともとは遍照寺の庭池として造営されたとか(8世紀からあった灌漑用の池を拡張したとも伝わる)。広大な広沢池が庭池ということからも、遍照寺全体の規模が窺えるというもの。池の向こうにそびえる山も遍照寺山と呼ばれています。

遍照寺は、989年、宇多天皇の孫、寛朝僧正が、池のほとりの山荘を寺院にしたもので、数々のお堂が並ぶ壮大な寺院でした。その全盛期は紫式部が活躍した時代と重なり、寛朝僧正の祈祷によって円融天皇(一条天皇の父帝)の病を治すなど、歴代朝廷との関係も強かったようです。

また、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』は、遍照寺と安倍晴明にまつわる、こんな逸話を伝えています。

寛朝僧正に教えを乞うため、晴明が遍照寺を訪ねた折のこと。若い貴族や僧侶たちに「式神をお使いになるなら、人を殺せますか」と問われた晴明は、「虫などは殺すことができますが、生き返らせる方法を知りません。仏道の罪になるので、たやすくは殺せません……」などと答えました。しかし、僧侶たちは引き下がらず、「カエルで試してみてください」とけしかけます。そこで、晴明が草の葉を投げると、カエルはまっ平らにつぶれて死んでしまったのです。

『光る君へ』の晴明はこういう呪術は使いませんが、実際はどうだったのでしょう。以前は安倍晴明と聞くと、野村萬斎さんの顔が浮かんだのですが(最新版は山崎賢人さんですね)、最近はユースケさんが真っ先に頭に浮かびます。大河ドラマの影響力、おそるべし、です。